「忙しい」からあなたを解放する「しないこと」

20120621133437

 
「心」を「亡」くすと書いて、「忙しい」。

私は今年5月で約7年間のサラリーマン生活を終えました。 
その7年間で「忙しい」という言葉を聞かなかった日は、ほとんど無かった気がします。

そんな忙しさから、少しでも解放されたいと思っている方に本書の内容は役に立つかもしれません。
 
スローライフのために「しないこと」

私はこの本を読んだ今、「忙しさ」から解放されたような心地がしています。

私なりに心惹かれた内容をピックアップしてご紹介します。

「すること」から「しないこと」へ

深呼吸して、この広い世界を眺めてみてほしい。紛争、戦争、飢餓、格差、環境危機、食料危機、エネルギー危機、金融危機、経済危機・・・。やれやれ、大変な時代にぼくたちはめぐり合わせてしまった。

それは「終わりなき経済成長」をテーマとする一大ドラマの結末だ。貪欲を美徳とし、「もっと、もっと」を合言葉に、「より速く、より多くのことをする」ことを競い合う社会の行き着いた場所がここなのだ。

もう一度深呼吸して、こんどは身のまわりを見てほしい。そして気づいてほしい。どこもかしこも、何から何まで、モノやコトがどにかく多すぎるのだということを。

ぼくたちの生きる世界の風景は、「過剰」という一言によって表すことができるのではないか。モノの過剰、生産の過剰、商品の過剰、欲望の過剰、競争の過剰、情報の過剰。

そしてそれらすべての過剰を支えているのは「すること」の過剰。

P.4 「はじめに」

本書の冒頭、この部分を読み、ハッとさせられました。

「すること」が過剰だから、みんな「忙しい」。そして心を亡くす。

自分もサラリーマン時代のほとんどの時間を「もっと、もっと」を合言葉に、「より速く、より多くのことをする」、すなわち「効率を上げる」ことに邁進していました。

その結果「すること」を増やし、常に自分の中で「忙しい」状態を作り上げていました。

効率を上げて、ひとつことにかかる時間が減らせたら、空いた時間は心地よい時間にしないと、「忙しい」からは解放されません。

本書の著者である辻さんの仰るとおり、いまやどこもかしこも、モノやコトが「過剰」です

この「過剰」の時代、あなたにとってプラスになるのが「引き算」。つまりは「しないこと」。

「TODO =(すること)」リストは必要?

「すること(to do)」には、「したいこと(want to do)」と「しなければいけないこと(have to do)」が混じっているはずだ、と考えられる。

(中略)

普通の「すること」リストでは、「しなければならないこと」のほうが、「したいこと」に比べて圧倒的に優勢だということは言えそうだ。

また、「しなければならないこと」の中には、「当然することになっているが、よくよく考えてみればしなくても済むこと」もあれば、「しないと生きていけないこと」もある。

その「しないと生きていけない」にも、「水や空気や食べものなしに生きられない」という意味もあれば、「君なしには生きていけない」とか、「信仰なしに生きられない」とかの意味もある。だが、不思議なことに、「しないと生きていけない」ほど重要なことというのは、「すること」リストに登場しないのが普通だ。

ま、「本当にしなければならないこと」は、よくわかっているからリストに挙げるまでもない、ということなのだろう。
しかし、そうだとすると、「すること」リストに挙げられているのは、「本当にしなければならないこと」ではない、ということになる。フーム・・・。

今や一般的になりつつある、「TODOリスト」。多分にもれず私も作っていました。

そして、この本を読み終えた私は、TODOリストそのものを削除しました。

「本当にやりたいこと」は忘れないし、すぐにやるから、私にはわざわざリスト化する必要性が無いということに気がつきました。

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Tsuji san

出典:http://www.sloth.gr.jp/tsuji/より、辻さんとなまけもの

俗に言う「できる人」の「しないこと」には違和感だらけ

ここでよく注意しておくべきことは、「できる人たち」が挙げる「しないこと」リストの裏側にはいつも、その代案となる「すること」がくっついているということ、そして、それを「する」ためにさまざまな道具や機会が必要になるということだ。
たとえば、勝間和代氏の場合なら、「テレビを見ない」→もっと良質の情報を得るためにインターネットを駆使し、お金を惜しまずに本を買ってすき間時間に「パッパと」読み、家事の合間にCDを聴く。飛行機の移動時間をムダにしない→より快適なビジネスクラスに乗り、パソコンで仕事したり、デジタル・オーディオ・プレーヤーにオーディオブックをダウンロードしておいてノイズキャンセリング型のヘッドフォンで聴く、と言った具合だ。

これでは「しないこと」が増えるほど、「すること」がどんどん増えていくばかりだ。たしかにお金は増えるかもしれないけど、「したいこと」をする時間さえなくなってしまうだろう。そうやって得られる豊かさはいったい何のため?こんなことなら、「できる人」になんかなりたくない、と思うのは私だけではないはずだ。

 
「ムダを省く」情熱には十分注意したほうがいいと、とても感じました。

「できる時間管理人」の先生たちは、お風呂や、お便所などなどすき間時間を有効活用するように言いますが、お風呂やお便所くらいは効率度外視で、気持ちよく過ごしてはいかがでしょうか。

そもそも「ムダ」ってなんでしょうか?本書のこの部分に私は考えさせられました。

ちょっと脇道にそれるようで、時間管理術の先生たちには叱られそうだが、ここでロバート・ケネディの話を紹介しよう。ジョン・F・ケネディ大統領の弟で、1968年6月、次期大統領をめざす候補指名選のキャンペーン中に、暗殺された人物だ。彼は、暗殺される2ヶ月あまり前のスピーチで、生産力を上げることばかりに必死になっている社会のあり方を痛烈に批判した。

アメリカは世界一のGNP(国民総生産)を誇っている。では、そのGNPの中には何が含まれているのだろう、とケネディは問いかけた。そのリストの中には、タバコや酒や薬、離婚や交通事故や犯罪や環境汚染や環境破壊に関わる一切が含まれている。
「戦争で使われるナパーム弾も、核弾頭も、警察の装甲車もライフルもナイフも、子どもたちにおもちゃを売るために暴力を礼賛するテレビ番組も」

ケネディは次に、GNPに勘定されないもののリストを挙げていく。
「子どもたちの健康、教育の質の高さ、遊びの楽しさはGNPには含まれない。詩の美しさも、市民の知恵も、勇気も、誠実さも、慈悲深さも・・・」

そしてこう結論する。
「要するにこういうことだ。国の富を測るはずのGNPからは、私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている」
GNPに勘定されないということは、言い換えれば、経済の観点からは「ムダ」と見なされるということだ。

おわり

本書の5章中、1章分のご紹介もしきれずに大分と長くなってしまいました。
最後に私の好きな部分をご紹介。

としより「いい若者がなんだ。起きて働いたらどうだ」
  若者「働くとどうなるんですか」
としより「働けばお金がもらえるじゃないか」
  若者「お金がもらえるとどうなるんですか」
としより「金持ちになれるじゃないか」
  若者「金持ちになるとどうなるんですか」
としより「金持ちになれば寝て暮らせるじゃないか」
  若者「はあ、もう寝て暮らしてます」
 
(「怠惰の思想」『多田道太郎著作集」第四巻)

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